かつて「王道」とされてきたマーケティングキャリアの選択肢が、今、大きく変わりつつあります。
事業会社によるインハウス化の波は一時的なトレンドではなく、業界構造の根本的な変化を象徴しています。
コスト効率の追求、データへの直接アクセス、意思決定のスピードアップなど、企業がマーケティング機能を内製化する理由は多岐にわたります。
この変化は、キャリアをスタートしたばかりの人や次のステップを模索している人にとって、数年前には存在しなかった新たな可能性を生み出しています。代理店とインハウス、それぞれの特性を理解し、自分に合った選択をする時代が到来しました。
かつては広告代理店が「理想の職場」だった
多様な業務、クリエイティブな自由、そして有名ブランドのキャンペーンの最前線。これらが長年にわたり広告代理店で働く最大の魅力でした。大手広告代理店でキャリアを積むことは、マーケティング業界における王道とされてきました。数々の異なるクライアントの課題に取り組み、多様な業界の知識を吸収し、時には夜遅くまで働きながらも充実感を得ることが当たり前の時代だったのです。
しかし現在、業界の雇用市場は大きく、しかも急速に変化しています。この変化は2020年代に入ってからさらに加速し、コロナ禍後の市場再編の中で顕著になってきました。
多くの代理店が組織再編や人員削減を進める一方で、事業会社は着実にインハウス人材の採用を強化しています。以前は代理店の専門領域だった業務を、社内で行うようになっているのです。
この「インハウス化」の波は、単なる一時的なトレンドではなく、業界構造の根本的な変化だと考えます。
例えば米国Amazonは、3月中旬の時点で400件以上のマーケティング職の求人を掲載していました。GoogleやMeta(旧Facebook)といったテック大手だけでなく、P&GやUNILEVERなどの消費財メーカー、さらには金融や小売業界までもが、マーケティング人材の内製化に力を入れています。これは一例に過ぎず、様々な業界のブランドが「メディアバイイング」「クリエイティブ制作」「マーケティング戦略」などの機能を社内で担う体制を整えつつあります。そして、日本でも同様の変化が起こっています。
インハウス化が進む背景要因
なぜ事業会社はこれほどまでにインハウス化を推進しているのでしょうか。その主な理由としては以下のようなものが挙げられます。
- コスト効率の追求:代理店手数料を削減し、直接リソースを管理することでのコスト削減
- データへの直接アクセス:顧客データが競争優位の源泉となる中、外部に依存せず自社でデータを活用したい思惑
- 意思決定のスピードアップ:社内に専門チームを持つことで、市場変化への対応速度を高める
- 一貫したブランド価値の維持:複数の代理店に分散するより、統一的なブランドコミュニケーションを実現
- デジタルマーケティングの複雑化:常に変化するデジタルプラットフォームへの対応には、専任チームが有利
特に、デジタル広告の透明性問題が業界で注目されてきたことをきっかけに、多くの企業が「メディア予算の行き先を完全に把握したい」という意向を強めています。以前はブラックボックス化していた部分を、自社でコントロールする流れが加速してきました。
ブランド側での「駆け出しマーケター」のポジションとは
キャリアをスタートしたばかりの人や、次のステップを模索している人にとって、この変化は数年前には存在しなかった機会を生み出しています。
以前は「代理店での3〜5年の経験が必須」とされていた企業側のポジションも、今は直接ブランドのインハウスチームから始められるケースが増えています。大手企業は積極的に新卒採用プログラムを拡充し、マーケティング部門への若手人材の確保に力を入れているのです。
具体的に成長著しい職種には、次のようなものがあります。
- メディアプランニング&メディアバイイング:自社メディア予算の最適配分と運用
- ソーシャルメディア&コンテンツ開発:ブランドの公式SNSアカウント運営やコンテンツ制作
- パフォーマンスマーケティング:デジタル広告の効果測定と最適化
- プロダクトマーケティング&キャンペーン運営: 新製品やサービスの市場投入戦略立案
- マーケティングディレクター:データに基づく意思決定の推進役
- コンテンツマーケティング:ブログやオウンドメディア運営、SEO対策
- CRM&カスタマーマーケティング:顧客関係管理と長期的な関係構築
一連の動きは、企業が「メディア予算を自社でコントロールしたい」「代理店よりも透明性を確保したい」と考えていることが背景にあります。
この市場ニーズにより、変化に柔軟に対応でき、プラットフォームを横断的に考えられ、迅速に行動できるマーケターが求められているのです。マーケティングのスキルはかつて代理店で培われやすいものでしたが、現在では企業側も若手人材の育成プログラムを充実させ、即戦力となるマーケターの育成に力を入れる流れになってきました。
駆け出しマーケターにとっての新たな選択肢
もしあなたが代理店出身、あるいはこれからマーケティング業界に参入しようとしているなら、この変化は新たな可能性の到来だと考えてよいでしょう。
かつてのマーケティング業界では「まずは代理店でキャリアをスタートさせ、経験を積んでからクライアント側に転職する」というルートが一般的でした。しかし最近では、キャリアの入り口は多様化し、それぞれに異なる魅力を持つようになってきているのです。
インハウスマーケターのメリット
インハウスで働くことには、以下のようなメリットがあります。
- 競争力のある給与水準: 多くの企業では、代理店と同等かそれ以上の給与を提示するケースが増えています。特にIT業界ではその傾向が顕著で、スタートアップ企業では株式オプションなどのインセンティブも。
- 優れたワークライフバランス: 代理店のような「納期に追われる」「クライアント対応で深夜まで」という状況は比較的少なく、規則的な勤務時間が確保されることが多くあります。これにより燃え尽き症候群のリスクも低減されます。
- 柔軟な働き方:パンデミック以降、多くの企業ではリモートワークやハイブリッド勤務を標準化。一方で代理店業界は「対面でのコラボレーション」を重視する傾向があり、オフィス勤務への回帰が進んでいます。
- 一つのブランドを深掘りする経験:複数のクライアントを掛け持ちする代理店と異なり、一つのブランドに深く関われる点が魅力です。その業界や製品について専門性を高められます。
- 事業成果との直接的な結びつき:マーケティング活動の成果が企業の業績にどう貢献したのかを直接体験できる点も重要です。ROIへの意識が自然と高まります。
- 社内での異動・昇進機会:大企業では、マーケティング部門内での異動や他部門への異動など、キャリアの選択肢が広がります。広報、商品開発、営業など、関連部署とのコラボレーションも貴重な経験になるでしょう。
駆け出しマーケターにとって「代理店は多様で刺激的」というイメージがありましたが、今や企業側も同様の多様性を提供し、さらに戦略やデータ、意思決定の中心により近い立場で仕事ができるようになりました。また、ある程度の規模の企業であれば、複数のブランドやサービスを担当することも可能です。
インハウスマーケターに求められるスキル
インハウスマーケターとして成功するためには、代理店とは少し異なるスキルが求められます。
- 戦略的思考力:短期的なキャンペーン成果だけでなく、中長期的なブランド構築を考える力
- データ分析能力:マーケティングデータを分析し、実用的な示唆を引き出せる力
- 多部門との連携スキル:営業、商品開発、カスタマーサポートなど他部門と協働できる能力
- 資源管理能力:限られた予算とリソースを最大限に活用する計画力
- 実行力:外部に依存せず、自ら手を動かして結果を出せる姿勢
- 技術的理解:マーケティングテクノロジーの基本的な理解とツールの活用能力
これらのスキルは、代理店でも重要視されるものですが、インハウス環境ではより主体的に発揮する機会が多いでしょう。
キャリアチェンジを成功させるためのステップ
もし代理店から事業会社へのキャリアチェンジを検討しているなら、以下のステップを参考にしてみてください。
- 自社製品・サービスへの理解を深める:インハウスマーケターには、自社の製品やサービスについての深い理解が不可欠です。志望する業界や企業について徹底的にリサーチしましょう。
- データスキルを磨く:データに基づく意思決定が当たり前となった現在、基本的な分析スキルは必須です。Google Analyticsなどのツール習得から始めるのが良いでしょう。
- 特定業界の知識を獲得:特定の業界(テック、金融、小売など)への理解を深めることで、その業界のブランドにとって魅力的な候補者になれます。
- ポートフォリオの準備:代理店での成功事例を、個人の貢献が明確になるようにまとめておきましょう。数値で表した成果を提出することが重要です。
- ネットワーク:FacebookやXなどのSNSを活用し、興味のある企業の現職・元職マーケターとつながりを持ちましょう。業界イベントや交流会も貴重な機会です。
あなたのキャリアにとっての意味
もちろん、これは「代理店の時代は終わった」ということではありません。代理店でも、特にAI、データ分析、効果測定関連の分野では引き続き採用が活発に行われています。また多くの企業で「代理店出身者の柔軟性や即応力、多様な業界経験」を高く評価しています。
両者の関係も進化しており、すべてをインハウスまたはすべてを代理店に任せるという二択ではなく、「ハイブリッドモデル」を採用する企業が増えています。
社内チームが戦略や日常的な運用を担当し、特定のプロジェクトや専門性が必要な領域で代理店と協働するスタイルです。
このような業界環境の変化は、これからキャリアをスタートさせる人、または転職を検討している人にとって、より多くの選択肢となるでしょう。
従来想像していたマーケティングキャリアとは異なる道のりになるかもしれません。しかし、そこにはあなたが代理店に期待していたような「スピード感」「実践的な学びの機会」「実際の成果を生み出すチャンス」があります。
代理店とインハウス、どちらを選ぶべきか
結局、代理店とインハウス、どちらがあなたに適しているかは、個人の価値観や目標によって異なります。
代理店が向いている人
- 多様な業界や製品に触れたい人
- 短期間で様々な経験を積みたい人
- 変化の速い環境で刺激を求める人
- クリエイティブな側面を重視する人
インハウスが向いている人
- 特定の業界や製品に深い関心がある人
- 事業全体を理解しながらマーケティングに携わりたい人
- ワークライフバランスを重視する人
- 長期的なキャリア構築と専門性の獲得を目指す人
どちらを選んでも、現在のマーケティング環境では定期的なスキルアップデートと業界動向への敏感さが不可欠です。
まとめ
マーケティング業界の境界線は曖昧になりつつあります。
かつての「代理店かブランド側か」という二分法は時代遅れになり、今やキャリアパスはより柔軟で多様なものになっています。
マーケティングキャリアの入口は多様化しています。インハウスと代理店の境界が曖昧になりつつある現在、あなたのキャリアは、より自由に、より広範囲に展開できる時代となっているのです。
最も重要なのは、自分の強みと情熱を理解し、それを活かせる環境を選ぶこと。そして選んだ道で常に学び続けること。マーケティングの本質は変わらなくても、その実践方法は日々進化しています。
この業界の変化をチャンスととらえ、自分らしいキャリアを築いていきましょう。